「とても美しいお花が咲きますのょ。沢山できたら、お豆ご飯にしてね。それは美しいピンクのご飯になりますのょ。」
友人より平成8年の秋に1枚の説明書のコピーと共に20粒ほどのえんどう豆をいただきました。

花を愛でるのは好き!
でも、育てるのは下手。どうしよう・・・ちょっとずるいかな?失敗を防ぐため園芸好きの方々にお分けして私も育てはじめました。
なんとか、少しずつ増やし続けて今年で4年目。
今、花から実へと変わりつつあり今年も後少しで茎がすくすく伸びて2m以上になり暗紅色の子房(サヤ)をたわわに付けることでしょう。
とても、とてももったいなくて戴くわけにはまいりません。
秋になったら、今度はどなたに夢を託しましょうか?

私の戴いた説明書は、広島市教育センターのものですが、これを手にした沢山の方々がその都度コピーを繰り返したと思われるほどに擦れて汚れて不鮮明になったものでした。
この豆を手にした皆さんの遥か遠い昔へのロマンを今に伝えたい思いの現われなのでしょう。
何とか判読できる状態ですので、資料に基づき纏めさせて頂きました。

由来

ツタンカーメンはエジプト弟18王朝の王様。紀元前1361年〜1352年エジプトを統治した歴史上とても有名な王様です。
1923年、イギリスの考古学者カーナ・B・カーター氏は、この王様のお墓を発掘しました。
発掘された副葬品の中からこのえんどう豆を見つけました。
B・カーター氏はエジプト人が当時食べていたと思われるこのえんどう豆を持ち帰り栽培に成功しました。
そして、その一部がアメリカに渡り栽培が続けられたそうです。

日本には、昭和31年に「世界友の会」の水戸支部の大町武雄氏がアメリカに、桜やイチョウなど日本独特の種子を送ったところ、そのお礼としてV・イレーヌ・フアシスワーズ氏から、えんどう豆のいわれを書いた手紙と共に数粒のえんどう豆が大町氏宅に送られて来たそうです。

大町氏は自分一人で栽培するのはもったいないと考えて希望者に分けました。
その一部が昭和39年に日立市助川小学校で栽培され、さらに昭和42年に千葉県八日市場市須加小学校に5粒ほど送られました。
その後、水戸市の会社経営者である冨田氏の元に数10粒の種子が届けられました。

冨田氏は、早速我子と共に水戸市長を訪ね、その種子のいわれを話すと共にえんどう豆を市長に託しました。
これに感動した和田水戸市長は市内の各小学校で栽培してもらおうと2粒ずつ配りました。
その中で、水戸市立三の丸小学校が栽培に成功し昭和58年春、2360粒が収穫できました。
この年の10月、全国小学校理科教育研究発表大会の会場校になったのを機に、全国にこのえんどう豆を広めたいと数粒ずつ希望者に配りました。

広島市教育センターには、昭和58年10月にこの種子が2粒届けられました。
この2粒が翌59年には、鉢栽培に成功し、60年には広島市の学校及び社会教育機関に配布されました。
この事がラジオや新聞に大きく報道され、全国各地から栽培希望のお便りが次々に寄せられたそうです。
61年度には、栽培面積を広げて約15万粒の種子を収穫し各地に配布しました。
その中には、ニュージーランド・ウエリントン市教育委員指導主事コーリン・ウオーカー氏が広島市教育センター視察の際にこの種子を強く懇願されて約 2kgをニュージーランドに送ったのをはじめ、「世界友の会」の千葉農園、青山学院大学、鹿児島大学、北海道の農場その他全国から便りの届いた個人的な栽培愛好者へと配布されました。

豆の特色

ツタンカーメンのエンドウ豆は、日本の豆と違い花はピンク色と濃いワインレッドのような美しい色です。鮮やかで奇麗な色をしています。
またサヤ(子房)の色も緑色ではなく濃い暗紅色をしています。

栽培法

種まき 10月下旬から11月上旬が好適。
育苗ポリ鉢(7.5p)に、種まきし、本葉が2〜3枚の頃定植します。
種子は水を十分に含ませてから撒きます。
育て方 日光に十分当ててしっかり育てます。
エジプト産なので、やや寒さに弱いため、直接霜に当たらない場所が良さそうです。
肥料は定植後10p位離して化成肥料(主にリンサン、カリを使用し窒素は少量)を根元から離して少しずつ月1回位与えます。
茎の長さが2m以上になるので支柱を立て巻蔓が絡むようにします。
注意 普通のえんどう豆が近くで栽培されていると雑種になってしまいます
もし、花の色が白くなってしまったら雑種なので早めに処分することが大切です。

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